ある雑誌の取材で、A大学で社会学を教えるB教授は、 貧しくて十分な食事ができない人や病気で食べられない人のことを考えず 、食べ物を無駄にしている若者が増えているとして、こうした番組の影響を指摘していた。 問:「貧しくて十分な食事ができない人や病気で食べられない人のことを考えず」のは誰ですか。
举一反三
- 中国大学MOOC:「①現代の日本社会において、外で1人で食事をすることに抵抗のある学生や社会人は多い」のはなぜですか。食事をするなら家族や気の合う友人と一緒に食べたいと思う。おいしいと評判のレストランなら、それは共有できる人がいてほしいと思うし、そうでなくても、1人で食べる食事ほど味気ないものはないからだ。実際、①現代の日本社会において、外で1人で食事をすることに抵抗のある学生や社会人は多い。しかし、その理由は、誰かと一緒に食べたいとか、1人は寂しいというのとは少し違っている。それには他人の目が関係している。1人で食べている姿を他人に見られたくないのだという。
- 中国大学MOOC:日本人の主食といえば、すぐに米が思い浮かぶでしょう。この主食のご飯と一緒に、魚や野菜。などのおかずを食べるというのが、日本人の基本的な食事のスタイルです。(中略)つまり、炊いたお米を食べることが食事をすることの中心なのです。お米を食べずに、魚や野菜だけを食べた場合、日本人は何となく物足りない気分になります。問:①と②の中で、日本人にとって「食事をする」という気がしないものは①です。①炊いたお米を食べる ②おかずを食べる
- 一方、こうした批判の声に対して、貧しさや病気で食べられない人の問題と大食い番組とは全く関係がない、結び付けて批判するのは間違っている、見たくなければチャンネルを変えればよいといった反論もあるようだ。 問:「といった反論」の内容はどこからどこまでですか。
- 中国大学MOOC:もちろん、欧米人はパンを食べますが、パンはいろいろな食べ物の中の一つで、主食だという意識はないようです。ですから、肉やじゃがいものような、日本人ならおかずだと思う食べ物も、欧米人にとっては立派な食事なのです。問:①と②の中で、欧米人にとって「食事をする」ことの説明として正しいものは①です。①パンを食べるのは食事だが、魚や肉を食べるのは食事ではない。 ②米やパン、または肉やじゃがいもや魚など、すべての食べ物が食事である。
- 「恥の文化」が国民性の日本では、親の介護を他人に任せるのは「身内の恥」とするような風潮が強く、それが高齢者介護などの社会化を遅らせる大きな要因だったと言える。しかし、1990年代の半ばを過ぎたころから、介護に疲れて嫁が姑を殺した事件とか、老人虐待事件が頻発し始めた。かつての日本では、年老いた親面倒をみることを「親孝行」と言い、「親孝行したいときには、親はなし」と言ったものだが、①これは平均寿命が短かったからよかったのであり、今では、「親の長生き、子のため息」という言葉が生まれる。もはや「( ② )」どころではなくなったのである。こうして日本でも遅ればせながら、介護保険制度(2000年4月)が発足したのだが、日本の公的介護システムは、北欧諸国に比べて、まだまだ遅れていると言わざるをえない。だが、目下のところは、この制度に頼るほか方法がないのが現状だ。 このようにとかく暗いイメージで語られがちな高齢社会であるが、少し視点を変えれば、高齢社会の到来こそ、よりよい社会をつくるチャンスだと言うこともできる。なぜなら、高齢社会とは80年サイクルで人生を考えることができる社会であり、もし「効率と競争」ばかりが優先される社会の歪みが是正され、高齢者や障害者にも社会参加の場があるようなバリアフリー社会を築くことができれば、それは誰にとっても住みやすい社会を作り出すことにつながると考えるからである。 若いうちというのは、老いは他人事としてしか思えないものだが、老いは誰にも必ず訪れるものである。これを機会に、自分が老いを迎えたとき、どのように生活したいのか考えてみようではないか。それに答えがあるはずなのだ