証拠がないからはっきりしたことは言えないが、どうも私の財布を盗んだのは
举一反三
- 中国大学MOOC:店員さんが「ありがとうございました」と言う時、日本人は「どうも」と言うか、軽くお辞儀をするだけで、「どういたしまして」をほとんど言わない。一方が「ありがとうございました」と言い、もう一方が「どうも」で済ませたり何も言わなかったりするのは不平等だ、という考え方もあるかもしれない。問:続きの文としては、(B)より(A)のほうがもっとふさわしい。(A)だから、日本人は「どういたしまして」と答えたほうがいい。 (B)だが、日本は「お客様」を大切にする社会であり、「お客様」と店員は対等ではないのである。
- 「恥の文化」が国民性の日本では、親の介護を他人に任せるのは「身内の恥」とするような風潮が強く、それが高齢者介護などの社会化を遅らせる大きな要因だったと言える。しかし、1990年代の半ばを過ぎたころから、介護に疲れて嫁が姑を殺した事件とか、老人虐待事件が頻発し始めた。かつての日本では、年老いた親面倒をみることを「親孝行」と言い、「親孝行したいときには、親はなし」と言ったものだが、①これは平均寿命が短かったからよかったのであり、今では、「親の長生き、子のため息」という言葉が生まれる。もはや「( ② )」どころではなくなったのである。こうして日本でも遅ればせながら、介護保険制度(2000年4月)が発足したのだが、日本の公的介護システムは、北欧諸国に比べて、まだまだ遅れていると言わざるをえない。だが、目下のところは、この制度に頼るほか方法がないのが現状だ。 このようにとかく暗いイメージで語られがちな高齢社会であるが、少し視点を変えれば、高齢社会の到来こそ、よりよい社会をつくるチャンスだと言うこともできる。なぜなら、高齢社会とは80年サイクルで人生を考えることができる社会であり、もし「効率と競争」ばかりが優先される社会の歪みが是正され、高齢者や障害者にも社会参加の場があるようなバリアフリー社会を築くことができれば、それは誰にとっても住みやすい社会を作り出すことにつながると考えるからである。 若いうちというのは、老いは他人事としてしか思えないものだが、老いは誰にも必ず訪れるものである。これを機会に、自分が老いを迎えたとき、どのように生活したいのか考えてみようではないか。それに答えがあるはずなのだ
- 山田さんはいつもお金が足りないと言っているが、車を持っているし、ゴルフもお酒もやめないから、きっと嘘だろう。問:これを書いた人の考えと一番近いのは、どれですか。
- 中国大学MOOC: 「科学者と聞くと、普通の人ではとても考えられないような難しいことばかり研究している人だと思ってしまう。もちろん、専門的な知識がなければ科学の研究はできないだろう。しかし、科学の研究は、私たちが普段当たり前に思っている事柄について、それが当たり前かどうか考え直すことにあるのだ。それができたら、その人は科学者になる第一歩を踏み出したと言えるかもしれない。」「それ」は「専門的な知識を持つこと」を指します。
- ある作曲家に「あなたを、曲が作りたいという気持ちにさせる一番のものは何か」という質問をした。答えは「締め切り」だ。この答えにうなずく人は案外多いのではないだろうか。私もその1人。締め切りまで時間がある時はやる気にならなかったのに、締め切りが追ってくると不思議と集中力が高まり、いいアイディアが浮かんだりするからだ。胃が痛くなることもあるが、仕事をする時のパワーとして最も強いもの、それが締め切りだと言える。 問:筆者は「締め切り」をどのようなものだと考えているか。