举一反三
- 中国大学MOOC:血液型に対する意見は人によって様々である。私が血液型の話を口にすると、「科学的に何の根拠もない」と言う人もいる。もちろん、人間は一人一人違うということは分かっているつもりである。だからよく付き合った上でその人を判断するようにしている。問:続きの文としては、(B)より(A)のほうがもっとふさわしい。(A)しかし、私が初めて会った人にまでそれを聞くのは、そうすることが相手をよりよく知る近道になると思うからだ。(B)血液型の話を信用しないほうがいい。
- きのうの よるは 6時に‗ 、ごはんを つくりました。
- 中国大学MOOC:「私はとなりの席で寝ている級友に「おい、田中。先生が呼んでるぞ」と声をかけた。すると、むっくりと起き上がって、驚いたようにあたりを見回した。」「驚いたようにあたりを見回した」のは「私」です。
- 冷水で顔を洗う方法は、頭をさえさせるのにいいばかりではない。寒さに強い体に鍛える...きりさせるほかにどのような効果があるか。
- 冷水で顔を洗う方法は、頭をさえさせるのにいいばかりではない。寒さに強い体に鍛えるうまい方法でもある。「寒さに強い」と言う場合、寒さに耐える強さと寒さの変化に早く適応できるという強さとがあるが、この方法は後者を鍛えることになる。毎日決まった時刻に温度変化を刺激として与え、それにうまく適応する条件反射を作り上げるのである。 問:冷水で顔を洗う方法は、頭をすっきりさせるほかにどのような効果があるか。
内容
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中国大学MOOC:「日本全国どこも似たような町になってしまった」と言う人がいる。地方へ行っても、都会と同じような姿の駅、都会にもあるような名前のスーパーやホテルばかりで、つまらないと言うのだ。しかし、こういうことを言う人は建物しか見ていないのかもしれない。実際は、そこに住む人々の生活の中に入り込んでみると、異なる点がたくさん見えてくる。「この村の祭りには、伝統的にこんな役割がある」といったような話がいろいろ聞けるだろう。問:この文章で筆者が最も言いたいことは(A)です。(A)現代の日本にも、地方によって異なる文化がある。(B)現代の日本では、地方による文化の差が失われてしまった。
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私は、思い切った差別教育をしようと考えている。勉強する子は褒めてあげよう。怠ける子は叱ろう。よい事をしたら褒めよう。悪い事をしたら叱ろう。できれば、一人一人の子を、よく観察して、なるべくたくさん良い所をみつけ出してほめてあげよう。褒めるとき、なるべくたくさんの人の前で、はっきり褒めて、多くの人にも祝福してもらおう。叱る場合は人の知らないところで、静かに叱られる理由がよくわかって反省してもらえるように叱ろう。問:筆者の言う「差別教育」とは何か。
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中国大学MOOC:自分より学歴が劣っている相手と話が合わないのは当たり前だと考えるのは学歴差別なのではないだろうか。問:①より、②のほうが上の疑問文に近い意味を表している。①自分より学歴が劣っている相手と話が合わないのは当たり前だと考えるのは立派な学歴差別である。②自分より学歴が劣っている相手と話が合わないのは当たり前だと考えるのは学歴差別かどうか分からない。
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店の中は薄暗く、20着ほどのスーツがハンガーにぶら下がっていた。よく見ると、かなりほこりをかぶっている。「なんなんだ、この店。どこから見ても儲かっていなさそう…」直也がそう考えていると、いったん店の奥へ消えたオーナーが、2着のスーツを抱えて出てきた。問:線のついている文は誰が言ったのですか。
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「恥の文化」が国民性の日本では、親の介護を他人に任せるのは「身内の恥」とするような風潮が強く、それが高齢者介護などの社会化を遅らせる大きな要因だったと言える。しかし、1990年代の半ばを過ぎたころから、介護に疲れて嫁が姑を殺した事件とか、老人虐待事件が頻発し始めた。かつての日本では、年老いた親面倒をみることを「親孝行」と言い、「親孝行したいときには、親はなし」と言ったものだが、①これは平均寿命が短かったからよかったのであり、今では、「親の長生き、子のため息」という言葉が生まれる。もはや「( ② )」どころではなくなったのである。こうして日本でも遅ればせながら、介護保険制度(2000年4月)が発足したのだが、日本の公的介護システムは、北欧諸国に比べて、まだまだ遅れていると言わざるをえない。だが、目下のところは、この制度に頼るほか方法がないのが現状だ。 このようにとかく暗いイメージで語られがちな高齢社会であるが、少し視点を変えれば、高齢社会の到来こそ、よりよい社会をつくるチャンスだと言うこともできる。なぜなら、高齢社会とは80年サイクルで人生を考えることができる社会であり、もし「効率と競争」ばかりが優先される社会の歪みが是正され、高齢者や障害者にも社会参加の場があるようなバリアフリー社会を築くことができれば、それは誰にとっても住みやすい社会を作り出すことにつながると考えるからである。 若いうちというのは、老いは他人事としてしか思えないものだが、老いは誰にも必ず訪れるものである。これを機会に、自分が老いを迎えたとき、どのように生活したいのか考えてみようではないか。それに答えがあるはずなのだ