举一反三
- 中国大学MOOC:「携帯電話に娘の名前が表示されたのを見て、母親は慌てて、家を出てから3日間、連絡がなかった娘が送ってきたメールを読んだ。」メールを読んだのは「母親」です。
- 本社から富士見支店への異動が決まってから、直也は西山からいろいろアドバイスを受けた。2年前に富士見支店から異動してきた西山は後輩であるが、仕事の成績が著しく、富士見支店でも高く評価されていたらしい。そんな西山がどういうわけか、「あの店に出会えてなかったら、俺は成功しなかったと思う」と、この活気のない店を勧めたのだ。 問:線のついている文は誰が言ったのですか。
- 【問題 1】生き生き A: 私は体が生き生きしているうちに、 あちこち旅行をしたいと思う。 B: 子どもが熱を出したが、薬を飲ませたらだんだん生き生きしてきた。 C: 彼は、 好きなサッカーをしているときが一番生き生きしている。 D: 記憶が生き生きしているので、 今なら間違えずに答えることができる。
- 山田さん_____ _________ ____★______ _________、あきれた。 A: とは B: 事実を知っていながら C: 隠し通した D: ときたら
- 会見 A: 来週、アルバイトの会見があるので、持っていく履歴書を用意した。 B: 社長は会見を開き、記者からの質問に一つ一つ丁寧に答えた。 C: 昨夜、高校の同級生の集まりがあり、10年振りに会見を楽しんだ。 D: 駅の近くを歩いていたら声をかけられて、テレビ番組の会見を受けた。
内容
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ひとりの子どもの話です。 仕事で疲れ切って、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、という子の文章がありました。 これ ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。 問:「これ」は、何を指すか。
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発生 A: この工場から、多くの新しい商品が発生している。 B: 海の近くに新しいホテルがたくさん発生している。 C: 火災が発生したときのために、みんなで避難訓練をした。 D: その映画を見て、日本に対する興味が発生した。
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中国大学MOOC:僕は今まで数多くのアニメで未来をイメージしてきた。未来を「想像」し、作品を「創造」してきた。「想像」するだけなら一人でしていればいい。あるいは、友人たちとのおしゃべりで十分だろう。しかし、「創造」するためには、そこに「何のために」という強い動機が必要なのだ。僕が「想像」したのをもとに作品を「創造」することで、もしかしたら、その作品をきっかけに何かが変わるかもしれない。僕も人類の一人として、この地球がよりよい方向に進み、幸福な未来へとつながっていってほしい。問:筆者の考えに合うものは①です。①地球の未来のために、アニメを描き続けることが必要だ。 ②自分の作品が人類の幸福につがなるきっかけになってほしい。
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ある雑誌の取材で、A大学で社会学を教えるB教授は、 貧しくて十分な食事ができない人や病気で食べられない人のことを考えず 、食べ物を無駄にしている若者が増えているとして、こうした番組の影響を指摘していた。 問:「貧しくて十分な食事ができない人や病気で食べられない人のことを考えず」のは誰ですか。
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「恥の文化」が国民性の日本では、親の介護を他人に任せるのは「身内の恥」とするような風潮が強く、それが高齢者介護などの社会化を遅らせる大きな要因だったと言える。しかし、1990年代の半ばを過ぎたころから、介護に疲れて嫁が姑を殺した事件とか、老人虐待事件が頻発し始めた。かつての日本では、年老いた親面倒をみることを「親孝行」と言い、「親孝行したいときには、親はなし」と言ったものだが、①これは平均寿命が短かったからよかったのであり、今では、「親の長生き、子のため息」という言葉が生まれる。もはや「( ② )」どころではなくなったのである。こうして日本でも遅ればせながら、介護保険制度(2000年4月)が発足したのだが、日本の公的介護システムは、北欧諸国に比べて、まだまだ遅れていると言わざるをえない。だが、目下のところは、この制度に頼るほか方法がないのが現状だ。 このようにとかく暗いイメージで語られがちな高齢社会であるが、少し視点を変えれば、高齢社会の到来こそ、よりよい社会をつくるチャンスだと言うこともできる。なぜなら、高齢社会とは80年サイクルで人生を考えることができる社会であり、もし「効率と競争」ばかりが優先される社会の歪みが是正され、高齢者や障害者にも社会参加の場があるようなバリアフリー社会を築くことができれば、それは誰にとっても住みやすい社会を作り出すことにつながると考えるからである。 若いうちというのは、老いは他人事としてしか思えないものだが、老いは誰にも必ず訪れるものである。これを機会に、自分が老いを迎えたとき、どのように生活したいのか考えてみようではないか。それに答えがあるはずなのだ