中国大学MOOC:10年前に日本に来たときは、どこに行っても、ゴミはほとんど落ちていなかった。でも、今は違う。私はゴミ拾いに参加したことがあるが、植え込みの中が特にひどい。タバコの吸殻は、携帯灰皿に入れればいいし、菓子パンの包装紙はポケットに入れて家まで持って帰れる。でも、最近の日本人は、こんな簡単なことに責任を持てないようだ。そんなことで日本の「きれい」がなくなっていくのが、残念でしかたがない。問:筆者が言いたいことは①です。①10年前と比べると、日本の町はゴミが多くなってきた。②日本の町並みが汚くなっていくのはとても悲しいことだ。
举一反三
- 10年前に日本に来たときは、どこに行っても、ゴミはほとんど落...が汚くなっていくのはとても悲しいことだ。
- 【单选题】「あの人って、とっても“ほめかた”がうまい」 あなたの周囲に、こんな評価をされている人が何人いるでしょうか。残念ながら、きっと「ノー」と答える人が多いと思います。 それでは逆に、あなたの周囲に「なにかといえばすぐ叱りたがる人はいますか」と聞けば、今度は「イエス」と答える人のほうが多いはずです。実は、[ 1 ]上手にほめることができないのは、現代の日本人の特徴のひとつなのです。 日本という国は、「いいこと」をするのは当然で、「悪いこと」をすれば叱られるという「減点主義」の社会だったためです。減点主義の下では、なぜ減点されるのかを説明するためには、[ 2 ]。このためどうしても、ほめる機会は少なく、叱る機会ばかり[ 3 ]多くなってしまうのです。 これが「加点主義」の社会なら、その人のなにが評価されているかが問題になりますので、どうしてもほめることが多くなるのです。 これは、日米の文化の違いのひとつといっていいかもしれません。ほめられるためには、ときには個性を伸ばすことも大切になりますが、叱られないためには、なるべく個性は抑えて目立たないほうが無難です。[ 4 ]、ほめられるためには自己主 A. は B. で C. が D. に
- 幼い子どもに弟や妹ができると、赤ん坊に戻ったように振る舞うことがある。それまで自分の世話だけをしてくれていた母親が、生まれたばかりの弟や妹の世話で忙しくなる。赤ん坊に戻って、自分も同じように母親に世話をしてもらいたいと思うのだろう。 母親は、どの子も同じように育てているつもりである。しかし、子どもにはそのことがわからないので、自分は大切にされていないと思い、不安になるのだろう。 問:「そのこと」とは何か。
- 中国大学MOOC:「日本全国どこも似たような町になってしまった」と言う人がいる。地方へ行っても、都会と同じような姿の駅、都会にもあるような名前のスーパーやホテルばかりで、つまらないと言うのだ。しかし、こういうことを言う人は建物しか見ていないのかもしれない。実際は、そこに住む人々の生活の中に入り込んでみると、異なる点がたくさん見えてくる。「この村の祭りには、伝統的にこんな役割がある」といったような話がいろいろ聞けるだろう。問:この文章で筆者が最も言いたいことは(A)です。(A)現代の日本にも、地方によって異なる文化がある。(B)現代の日本では、地方による文化の差が失われてしまった。
- 「恥の文化」が国民性の日本では、親の介護を他人に任せるのは「身内の恥」とするような風潮が強く、それが高齢者介護などの社会化を遅らせる大きな要因だったと言える。しかし、1990年代の半ばを過ぎたころから、介護に疲れて嫁が姑を殺した事件とか、老人虐待事件が頻発し始めた。かつての日本では、年老いた親面倒をみることを「親孝行」と言い、「親孝行したいときには、親はなし」と言ったものだが、①これは平均寿命が短かったからよかったのであり、今では、「親の長生き、子のため息」という言葉が生まれる。もはや「( ② )」どころではなくなったのである。こうして日本でも遅ればせながら、介護保険制度(2000年4月)が発足したのだが、日本の公的介護システムは、北欧諸国に比べて、まだまだ遅れていると言わざるをえない。だが、目下のところは、この制度に頼るほか方法がないのが現状だ。 このようにとかく暗いイメージで語られがちな高齢社会であるが、少し視点を変えれば、高齢社会の到来こそ、よりよい社会をつくるチャンスだと言うこともできる。なぜなら、高齢社会とは80年サイクルで人生を考えることができる社会であり、もし「効率と競争」ばかりが優先される社会の歪みが是正され、高齢者や障害者にも社会参加の場があるようなバリアフリー社会を築くことができれば、それは誰にとっても住みやすい社会を作り出すことにつながると考えるからである。 若いうちというのは、老いは他人事としてしか思えないものだが、老いは誰にも必ず訪れるものである。これを機会に、自分が老いを迎えたとき、どのように生活したいのか考えてみようではないか。それに答えがあるはずなのだ