いくら信号が青だったとはいっても、そんなにスピードを出していたのでは、 事故の責任は君にあると言わざるをえない 。 問
举一反三
- 写真を撮る才能というのは観察眼などだけでなく、特殊なセンスを必要とするのではないかと、かねがね疑問を抱いていたが、平常心を持つのもその一つなのかもしれない。的確にピントを合わせ、人差し指でシャッターを押しさえすれば、誰だって撮れるはずなのに、同じ被写体が撮る人間によって温かくも悲しくも映しだされるのは、本当に不思議である。 問:筆者はどんなことが言いたいのか。
- 幼い子どもに弟や妹ができると、赤ん坊に戻ったように振る舞うことがある。それまで自分の世話だけをしてくれていた母親が、生まれたばかりの弟や妹の世話で忙しくなる。赤ん坊に戻って、自分も同じように母親に世話をしてもらいたいと思うのだろう。 母親は、どの子も同じように育てているつもりである。しかし、子どもにはそのことがわからないので、自分は大切にされていないと思い、不安になるのだろう。 問:「そのこと」とは何か。
- 中国大学MOOC:10年前に日本に来たときは、どこに行っても、ゴミはほとんど落ちていなかった。でも、今は違う。私はゴミ拾いに参加したことがあるが、植え込みの中が特にひどい。タバコの吸殻は、携帯灰皿に入れればいいし、菓子パンの包装紙はポケットに入れて家まで持って帰れる。でも、最近の日本人は、こんな簡単なことに責任を持てないようだ。そんなことで日本の「きれい」がなくなっていくのが、残念でしかたがない。問:筆者が言いたいことは①です。①10年前と比べると、日本の町はゴミが多くなってきた。②日本の町並みが汚くなっていくのはとても悲しいことだ。
- 「恥の文化」が国民性の日本では、親の介護を他人に任せるのは「身内の恥」とするような風潮が強く、それが高齢者介護などの社会化を遅らせる大きな要因だったと言える。しかし、1990年代の半ばを過ぎたころから、介護に疲れて嫁が姑を殺した事件とか、老人虐待事件が頻発し始めた。かつての日本では、年老いた親面倒をみることを「親孝行」と言い、「親孝行したいときには、親はなし」と言ったものだが、①これは平均寿命が短かったからよかったのであり、今では、「親の長生き、子のため息」という言葉が生まれる。もはや「( ② )」どころではなくなったのである。こうして日本でも遅ればせながら、介護保険制度(2000年4月)が発足したのだが、日本の公的介護システムは、北欧諸国に比べて、まだまだ遅れていると言わざるをえない。だが、目下のところは、この制度に頼るほか方法がないのが現状だ。 このようにとかく暗いイメージで語られがちな高齢社会であるが、少し視点を変えれば、高齢社会の到来こそ、よりよい社会をつくるチャンスだと言うこともできる。なぜなら、高齢社会とは80年サイクルで人生を考えることができる社会であり、もし「効率と競争」ばかりが優先される社会の歪みが是正され、高齢者や障害者にも社会参加の場があるようなバリアフリー社会を築くことができれば、それは誰にとっても住みやすい社会を作り出すことにつながると考えるからである。 若いうちというのは、老いは他人事としてしか思えないものだが、老いは誰にも必ず訪れるものである。これを機会に、自分が老いを迎えたとき、どのように生活したいのか考えてみようではないか。それに答えがあるはずなのだ
- 中国大学MOOC:39頁の基本問題2を読んで、次の質問に答えてください。「そう」が指す内容は何ですか。 どうすればいいのかというと、家に戻ったら、たとえばドイツ語ならドイツ語の辞書を出して、大切だとかおもしろいと思った単語を10個選んで、単語帳に意味といっしょに書いておく。これを毎日つみ重ねると、1年では3650個の単語を覚えることができて、これでもうこわいものなし。先生はそう言ったのです。